定年女子の日々・是好日

「定年」にはなりましたが、非常勤で働く「日」「日」です。

「なごりゆき」vs「いちご白書をもう一度」

実家から、ばたばたと、帰ってきて、

明ければ、京都もなごり雪。


10代の頃「なごりゆき」という曲が流行ったのを思い出した。

で、あわせて思い出した「いちご白書をもう一度」

どちらもよく聴き、口ずさんだりしたものだが

はて?どっちが先だったか・・・?


なごり雪 - イルカ

1976年

高1


ばんばひろふみ「いちご白書をもう一度」

1975年

中3

どちらも1970年代

真ん中辺。


大人になって、東京を去る「いもうと」のような彼女を

駅で見送る心情も

就職が決まって、髪を切る心情も

未だ見ぬ「大学生活への憧れ」として感じていた頃。


実際、就職して赴任先が決まり、学生下宿を離れた時は、

引っ越し準備も含めて3日。

とても、感傷にひたっている間などなく、

新しい生活にどぼんと、飛び込んでいた。


60代半ばになってこの曲が沁みるのは

母の引っ越しに伴い

自分の人生も「ひとつの季節」が

去ろうとしているからかもしれない。

母の引っ越し

父が亡くなってから15年

九州の実家で一人で頑張っていた95歳の母が、

今年の年明け突然,

施設に(サービス付き高齢者住宅)入る!

と言い出した。


二月半ばに見学に行き

今週、契約。

四月の初めに引っ越すことになった。


コロナの頃に体調を崩して入院してから

足が不自由になり、

買い物がままならなくなる。

それでも生協と、とくし丸

宅配のお弁当、できる範囲の自炊で頑張ってきた。


退職してからは隔月くらいで、

掃除と買い出しの補助に帰省していた。

それでも、初めての一人暮らし、

「自由がよい」と頑張っていた


今年になってから、週2で通っているデイケアの友だちに

「ごはんがおいしいよ」

と誘われて、すっかりその気になって、引っ越す決意となったようだ。

機縁というものをつくづく思う。


18で家を出てから、40年以上

玄関わきに椿の木があったことを知らなかった。


玄関前の梅の木。

剪定されすぎて今年はちらほらなのだが

父が植えた。

高校卒業の朝、この木の前で写真をとった。


契約に行く日、

玄関を出るとはらりとなごりゆき。


空寒み 花にまがへて散る雪に

     少し春あるここちこそすれ

       如月つごもりころに 「枕草子」


清少納言と公任の宰相のやり取り。

   なぜか、町田啓太氏の顔が浮かぶのは

   まだ、「光る君へ」ロス・・・


実家の一つの季節が移ろうとしている。

「相棒」右京さんの言葉

混迷する、世界。

不安で不安で、足元ぐらぐらするような昨今を

映し出したような事件。

相棒と仲間たち(上・中・下)が見事解決した後の会話


亀山君「世界がどんどん壊れていって

    自分には何もできない。

    そんな気がするんですよね」

右京さん「僕たちはやれることをやるだけです。

     それが、希望につながります。」


ありがとう、右京さん。

それしかないことを、再確認しました。