「光る君へ」清少納言こそ
清少納言こそしたり顔に いみじう侍りける人。
さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、
よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。紫式部日記
清少納言の出仕は993~1000
紫式部は1006・1007年頃~
二人が宮中に出仕した時期は異なり、
面識はなかったというのが定説
ライバル同士と言われるが
一条帝を挟んでの二后
彰子と定子
いや、道長VS中の関白家こそがライバルだった。
はじめ、ぱっとしない、彰子サロンをにぎやかすために
「源氏物語」をひっさげて出仕した式部にとって
定子サロンを美化に美化した「枕草子」は目の上のたんこぶ
やはり「作品」を通して、
かなり意識していたのではないだろうか。
清少納言への悪口は
人物その人へというよりも
作品を通して
特に真名(漢文)の扱いにたいしてのような気がする。
「枕草紙」は
「私、こんなことも知ってるのよ!」
「で、中宮様にほめられたのよ」
と「知識」をひけらかしているようなところが多い。
「源氏物語」の冒頭「桐壺」で
「楊貴妃のためし(長恨歌)」
を作品の血肉として人の生き方にまで深めている紫式部にとっては
「枕草子」は「真名書き散らし」
にどうしても思えてしまうのではないか。
ドラマも終盤
「源氏物語」第二部の終わりを書いている様子。
「御法」 源氏への信頼を失っての紫の上の死
「幻」 紫の上を失って孤独なままに出家してゆく光源氏
「雲隠れ」の章は源氏が亡くなったことを思わせながら一行も書かれない
「紫の上は死にました」というまひろの言葉は
紫の上の源氏への信頼は失せました
ということではないか。
なんだかんだ、言い訳しつつ、
一条帝と彰子が結ばれ、皇子が産まれたら
「源氏物語」はお役御免とばかりに
「まだ、書いているのか」
と読んでもいない、道長への失望。
「帝の外祖父」をまっしぐらに目指す道長への
「信頼」はなくなったということに思えてしまった。
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