「光る君へ」宇治川のほとり
ひと月ほど前、訪ねたところなので
宇治川のほとりで語る、道長とまひろの姿は感慨深かった。


宇治川は流れが速い。
宇治十帖を書くのは、もっと後だと思うが、
都を離れた宇治への着想はあったかもしれない。
雲隠
という題だけで、一行も書かれず筆をおいていた。
帝を妍子に近づける「物語」をと道長は頼むが
物語は人の心を映しますが、人は物語のようにはいきませぬ
と、断るまひろ
一条帝と彰子には、「源氏物語」を理解し、
共感する知性と感性があったということだ。
以前に
人とはなんなのでございましょうか
物語は生きておりますゆえ
光が強ければ、闇も濃くなります
呪詛も祈祷も
人の心のありよう。
人の心がかってに震えるのでございます。
とも言っていた。
物語は人の心
物語は人生そのもの。
「母上は私のことなどほっぽらかして何か書いていたわ。
書かない母上は母上でないみたい。」
と賢子にも言われる。
書きたいものが湧き上がって来る
わたしのために
おまえがおまえであるための道
作中で繰り返し、繰り返し語られていたこと。
まひろは、硯の蓋を開けた。
書き続ける。
誰のためでもない。
自分自身のために。
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